INTERVIEW with

[ギタリスト]

LEONの周辺には有名無名にかかわらず、男から見ても格好のいい大人の男たちが大勢いる。
そしてそんな男たちのフリートークは必ずどこかに発見があるものだ。
そんな男たちとのフリートークを収める「INTERVIEW with」。
今回は伝説のバンドBOØWYのギタリストとしてデビュー以降、ミュージシャン、
プロデューサーとしてシーンに大きな影響を与えつづけるレジェンド布袋寅泰さんを紹介する。

悔しい思いをするたびに
心のどこかでニヤッとしていた(布袋)

前田陽一郎
(以下:前田)

昨年アーティスト活動35周年を迎えられ、この秋は3年ぶりにニューアルバムを発表。そんな話題が続くなか、当然のように音楽の話を伺いたいのですが、今回はあえてミュージシャン布袋寅泰ではなく、ひとりの“男”としての布袋さんに迫れたらなと思っています。

布袋寅泰
(以下:布袋)

男ですか…。僕は体も大きいし、みんなからは「男とはこうだ」と喝を入れてほしいキャラに見えるようですが、実際には案外ノホホンとしているタイプですよ。

前田

では、「男とは何か」といった質問に答えるのは難しいですか?

布袋

そうですね。仕事をしているときは、音楽を作り、音楽を伝え、自分自身を探求し、そのなかで挫折したり喜びを感じたりして生きていますが「男とは何か」の答えは考えたことがないですね。もちろん、こうありたいという理想像はあるにはあるんですが、それもあくまで自分として。しかも、どちらかというとゴールより過程を楽しむほうです。成功にもあまり執着しません。一見成功に見えるものであっても、それを過程と捉えるようなところがありますね。

前田

なるほど。男としてというより自分としてどう生きるか、ということですね。では布袋さんにとって「仕事」とはなんですか?

布袋

19歳のときBOØWYでデビューして以来、職業欄には常に「ギタリスト」と書いてきました。厳密にいえば歌も歌うし、作詞・作曲もするわけですから「音楽家」と書いてもいいんでしょうが「ギタリスト」にこだわっています。14歳でロックンロールとエレクトリックギターに出会ってからずっと僕の人生はそれだけしかない。もちろんその時その時の目的はあったかもしれないけど、基本的にはただただこの道を歩いてきただけ、という感覚です。

前田

それがギタリストという道だったんですね。

布袋

まだ続いていますし、これからもずっとそうだと思います。そうだ、さっきの話に戻りますが“男”にとって“仕事”はとても大切なものですよね。男から仕事を取ったら男じゃないかもしれない。

瞬間的にひらめくために
他のものを拒絶する必要もある(布袋)

前田

同感です。では、布袋さんにとって「仕事」と対をなす「遊び」とはどういうものですか?

布袋

「遊び」にココロを付けて「遊び心」という言葉にすると、それは何事においても大切なものだと思っています。でも、夜遊びとか趣味とかいう意味の「遊び」となるとあまりピンときませんね。例えば「最近遊んでますか?」といわれれば別に遊んでないし、かといって昔は遊んでいたかというとそうでもない。若い頃、仲間と飲みに行くようなことはありましたが、そこでもずっと音楽の話をしていたりね(笑)。僕にとって一番大きな遊び場はやっぱり音楽なんですよ。遊び場でもあるし、学びの場でもある。そのなかに全部がある。フィロソフィーもファッションも歴史さえも僕は音楽から学びました。

前田

となると、仕事と遊びがはっきり分かれているわけではなく、生活のなかに仕事も遊びもあるという感じですか?

布袋

ところが僕のうちにはギターが一本もないんですよ(笑)

前田

えっ、そうなんですか?

布袋

みんなびっくりするんですけど、本当にないんです。ギターを持った瞬間のひらめきを大切にしたいので、いまはあえてそうしています。10代、20代の頃はそれこそ朝起きてから眠るまでギターを抱えていたという時期もありますが、そうするとどうしてもいろんなフレーズを弾いちゃうし、だんだん自分だけの音楽じゃなくなっちゃうんです。だから最近はあまり音楽も聴かないようにしています。

前田

不安はないですか?

布袋

何事もそうだと思いますが、これまで自分のなかに取り込んだものが血となり肉となっていますから不安はありません。それよりもいまは、瞬間的にひらめくために他のものを拒絶する必要もあると感じています。

前田

では家にいるときはわりとリラックスして過ごしているんですね。

布袋

そうですね。家庭では拍子抜けするぐらい家庭人ですよ(笑)。こんなこというと家族から「そんなことない」といわれるかもしれませんが、料理も好きでよく作ります。あんまり外出もしませんし、特に趣味もないですし…こういうとなんだかつまらない男みたいですね(笑)

前田

いや、つまらないとは思いません。「仕事とは?」、「遊びとは?」と分けて質問すること自体が布袋さんにふさわしいかどうかわからなかったので、あえて分けてお訊きしましたが、布袋さんにとっての“遊び”がどういうものなのか納得できました。

僕にとって
ロックは旅なんです(布袋)

前田

ところで、布袋さんは50歳を境にロンドンに移住されたわけですが、それがロンドンであったのは、やっぱりロックの聖地として若い頃から影響を受けてきた場所だからですか?

布袋

まさにそうですね。10代の頃、インテリの格好いい先輩の影響もあって、ちょっと異端っぽい音楽ばかりを聴いていました。で、気がついたらそれが全部UKモノだったんです。たまたまですけどね。当時のUKロックは、ベルボトムのジーンズに長髪で風のようなサウンドを演奏するアメリカのロックと違い、スーツを着て、時にはメイクをして、ちょっとジェンダーレスな雰囲気で演奏するようなスタイルが多かったし、中身に関しても宇宙を語るようなぶっ飛んだ感じがあって衝撃を受けました。だから、憧れの街といえばロンドンしか考えられませんでしたね。地球儀を眺める以上に、音楽を聴くことで旅をしていました。目を閉じてレコードを聴くたびに、本当にイギリスにいるような気分になれた。そして、自分もいつかギターと一緒に旅をしたいと思いました。僕にとってロックは旅なんですよ。

前田

そして旅先はロンドンしかなかった、と。

布袋

そうですね。だからプロになった後は何十回もロンドンに行きました。レコーディングはもちろんプライベートでも。自分が感じたあのファンタジーはどこから来たんだろう、とね。

ステージから投げかけたメッセージが
自分に帰って来た(布袋)

前田

そうやってロンドンに何度も足を運びながらも、やっぱり移住しようと思われたのは何かきっかけがあってのことですか?

布袋

そう、50歳を前にしてデビュー30周年を迎えた年、ステージからいつものように「君は夢を追いかけているか?」とメッセージを投げかけたんです。でも、その時はそれが自分自身に帰ってきた。“ちょっと待てよ…、諦めてたわけじゃないけど結局30周年を迎えてるぞ”と。そして、まだ遅くはない、やらなければいけないと思いました。そうしないと、あのとき投げた夢が宙に浮いたままになってしまう。そこで家族に「僕の夢に付き合ってくれ」といったんです。

前田

ずっと心に残っていたんですね。自分の音楽を自分の憧れたロンドンから世界に発信するという夢が。

布袋

それまでにもフラットを借りて何ヶ月かいたこともありましたが、家族と一緒に移るとなると話は別ですからね。

前田

そうですよね。ショービジネスの世界も日本とイギリスでは仕組みそのものが違いますしね。

布袋

そうなんですよ。日本は非常に恵まれたマーケットではありますが、どうしても世界に届かない。だから、英国流にどっぷりと身を浸して、そこで何ができるのかトライしてみたかった。で、実際に向こうに渡ってアルバムを1枚リリースしました。これは大きな一歩だけど非常に苦しいものでもありました。踏み出すまでも苦しい上に、踏み出したからといってそこがゴールじゃない。また、とんでもないことを始めてしまったなと思いましたね。「また振り出しだよ」とね。でも同時に「またスタートできる」とニヤッとする自分もいました。

ロンドンでは誰もキャリアに
振り向いてはくれない(布袋)

前田

日本人の感覚では、布袋さんならイギリスに行ってもすべてが用意されているんじゃないかと思えるんですが、そうじゃなかったんですね。

布袋

実際のところ、日本のキャリアは日本のキャリアでしかないですよ。誰もキャリアでは振り向いてくれません。だから、まったく1からのスタートでした。アルバム1枚作るのも大変でしたが、伝えるのもまた大変。向こうに行けば僕は新人ですから、小さなライブハウスから始めました。でも、世界ではそれが当たり前だと気づけて本当に良かったと思っています。

前田

そういった状況でニヤッとできる自分がいるというのは、すごいと思います。

布袋

僕は10代の頃、悔しい思いからスタートしました。ライブをやってもお客さんは友達だけ。やってもやってもなかなか伝わらない。運良くレコードデビューにこぎ着けても、今度は思うように音が作れないというジレンマもありました。そんななかでお客さんも増えない、レコード会社にも理解してもらえない。それでもいつも、俺たちは最高だと信じていました。そんな悔しさが僕の原点なので、悔しい思いをするたびにニヤッとするんです。「おっ、またここに来てるな。ここからやるぜ」とね。

前田

その言葉はすごく力になります。僕だけじゃなく、多くの40代、50代にとって力になると思います。みんな憧れはあっても、なかなか再スタートを切る勇気は持てないものですから。

布袋

僕がことあるごとにニヤッとできるのは、きっとゴールなんて求めていないからでしょうね。むしろ、ずっと悔しい思いをしていたいのかもしれない。もちろん、たまに夢のようなご褒美が来ることもあります。でも、ザ・ローリング・ストーンズのステージに立った次の日には、またロンドンに帰って小さなスタジオで曲を作っていたり、イタリアで2万人の聴衆を前に演奏した次の日に、100人にも満たないドイツのライブハウスでやっていたりする。そのすべてが僕には自然なことのように思えるんです。それは僕の目標がプライベートジェットに乗って悠々と世界ツアーをすることではなく、自分でギターを担いで地球の端の端まで旅をして、自分の音楽を伝えて、観客の反応を見たいというところにあるからだと思います。そこで誰かが踊ったらニヤッとするだろうし、しんみりしてもそれはそれでニヤッとしちゃうでしょうね。そういう行動や過程そのものが好きです。動かなきゃそんな悔しさや達成感を味わうことはできません。だから、僕にとって動き続けることはとても大切。そして、結果にはあまりこだわりません。過去の成功を否定するつもりはありませんが、僕自身はいたってシンプルに、ギターと音楽で人を楽しませたいし、自分自身を高めたいと思ってやり続けています。

前田

そんな布袋さんの行動原理は、ロンドンに行ったことでよりピュアになったと感じますか?

布袋

確かに向こうに行けばゼロからのスタートですからピュアですよね。それこそ自己紹介から始めなきゃいけない。でも逆に相手に先入観がないから「とにかく聴かせてよ」となる。ミュージシャン同士で話をしていても「話はいいからやろうよ」となる。それが気持ちいいですね。ギタリストじゃなかったらこんな人生の旅もできなかったと思います。ギターって誰とでもデュエットできますからね。ボーカリストだと言葉の問題もあるからこうはいかない。その点ギターはどんな人とも、どんな楽器ともコミュニケーションできるんです。

前田

ギターは世界の共通言語というわけですね。

布袋

プレーヤーとして音楽の真ん中にいられるのがギタリスト。だから、周りのメンバーを楽しませるのもギタリストの役目だと思っています。ドラマーがカウントを出してきたところに絡んでいけばドラマーもニヤッとするし、ボーカルが乗ってきたら肩を寄せてボーカリストを格好よくしてやったり、ときにはボーカリストに悔しい思いをさせてみたり。そういう立場だからこそ、飛び込んでいく勇気さえあれば、多くのチャンスがあるのがギタリストだと思います。

前田

ロンドンにはそういう人たちがいっぱい集まっているんですね?

布袋

ギター弾くのやめようかと思うくらい強者がたくさんいますよ(笑)。体のなかに自分のリズムを持っている奴がいっぱいいるし、多国籍な街なのでいろんなものがミックスされている。別に僕だけが外国人じゃないんです。そんななかで躊躇している場合じゃないですよね。

気負っていたのは自分だけかな、
と気づいた(布袋)

前田

一方でそんな環境だからこそ、日本にいたときには気づかなかった“日本人”を感じることも多いんじゃないですか?

布袋

まさにそのとおりですね。

前田

ニューアルバム『Paradox』を聴いていると、これから自分たちはどこに行くんだ? と一歩引いて見てらっしゃるようなところがあると感じました。やっぱりロンドンに行ったことで日本や世界を見る目は変わりましたか?

布袋

絶対に変わったでしょうね。テロや移民問題など、人類が乗り越えていかなきゃいけない問題が目の前にありますから。そんななかにいると、日本ではあまり考えてこなかったことに気づかされます。

前田

今回のアルバムは前作から一転、歌は日本語ですよね。それもそういう心境の変化と関係がありますか?

布袋

ありますね。前作『Strangers』を作るとき、英語で歌うことは初めに諦めました。自分の感じることを英語で話すのもおぼつかないのに、魂を乗せて歌うなんてとても無理だと思いましたから。同時に、だったらその分ギタープレイに集中できるとも思ったんです。だから、ああいうカタチでボーカリストと部分的にコラボレートするというスタイルを選びました。あれをやったことで、ギターの可能性を表現できた部分もありましたが、だからといってインストゥルメンタルだけをやるつもりもない。やっぱり僕の音楽にはメロディも歌も必要なんです。実際ツアーのときにはゲストボーカリストを入れずにやることもありましたから、その時は頑張って英語で歌っていました。

前田

それは悩ましいところですね。

布袋

でも、あるとき、海外にも日本人のファンがいっぱいいることに気づいたんです。最初は海外でやるのに日本人のお客さんに期待しちゃいけないと強がっていましたが、いまはどこの国の人でも来てくれた人を当たり前に楽しませたいと思うようになりました。そんななかで、たまに『バンビーナ』とかBOØWY時代の曲とかを演奏すると、ヨーロッパの人にもそっちのほうがウケたりして。そこで初めて、気負っていたのは自分だけかな…と気づいたんです。また、後にズッケロというイタリアを代表するシンガーとコラボレートしたとき、彼に「ホテイ、日本語を忘れちゃダメだ。日本人のマインドを忘れちゃダメだ」といわれたんです。「自分もイタリアから出てきたとき英語で歌わなきゃと思ったけど、母国語じゃない英語ではリズムも乗らないし、気持ちも乗らない。だから諦めたよ」って。そして彼はイタリア語のまま歌い続け、いまやロイヤル・アルバート・ホールを2日間満員にできるシンガーになりました。そんなズッケロの言葉や自分の気づきに加え、今回は目の前で起こっている現実を、言葉も大切にして伝えたいと思った。だから日本語に戻ったんです。曖昧なメッセージを送るのは卑怯だと思うし、若い頃みたいに無責任なことをいうわけにもいかない。それは若さの特権であって、この年代になったらキチンと自分の言葉を伝えなきゃいけない。さらに僕は常にエレガントなロックを奏でていたいと思っていますから。

前田

エレガントなロック…それは知性やスマートさを感じる大人のロックという意味ですか?

布袋

そう。エレガンスというのはブリティッシュロックの特徴のなかでも、僕が一番強く共感する部分です。そこに憧れましたし、自分の音楽もエレガントでありたいと常に思ってきました。今回のアルバムは、そういった英国流のエレガンスを僕なりに表現した一種のドキュメンタリーです。地球が向かう未来と正義の証たる言葉がどんどん汚れていくこの時代を「矛盾」というテーマで表現したら、どんな“いま”をリスナーと共有できるだろうか、というのがアルバムのスタート地点です。

前田

まさにさきほどおっしゃった、イギリスに渡ったからこそ感じられたことがテーマになっていますね。

布袋

僕がイギリスに渡ったのはロンドン・オリンピックの直後。その年はダイヤモンドジュビリーあり、ローリングストーンズの50周年ありで、とにかくロンドンが活気づいていました。それがだんだん不穏な空気になってきて、ついにテロが起こる。それでもイギリス人は誇りを忘れない人たちなんです。ロンドンブリッジのテロの翌日、新聞がパイントのビールを片手にパブから逃げている男性を大写しで取り上げました。日本人にはどういう意味かよくわからない写真ですが、新聞は「どんなときも自分のパイントを一滴もこぼさないのが英国人の心意気だ」と拍手を送っているんです。彼らにはそういう強さがありますね。けっして屈しない。我々は黙々と何事もないように日常を繰り返す。それこそが一番の抵抗だ、というわけです。すごくスマートでウィットも効いていて、誇り高い姿だなと思いました。僕はいつまでたっても英国人にはなれないけれど、そういう強さには共感を覚えます。

アーティストは
死ぬまでアーティスト(布袋)

前田

布袋さんは50歳を機にロンドンに行かれたわけですが、年齢というのは意識しますか?

布袋

自分が55歳になったなんていまも信じられませんが、一方で妙に気持ちいいですね。大人ぶる必要がありませんから。

前田

どこか清々しいような感じですね?

布袋

そうです。「もう夏じゃない。秋が来たな」と感じます。もちろん夏が終わる寂しさはありますが、秋っていいじゃないですか。静かに自分自身を味わったり考え直したりできる。20代、30代は突っ走らなきゃ変ですよね。止まれないし、そもそもブレーキがありません。

前田

あっても使いませんしね(笑)

布袋

でも、いまなら思い切ったギアチェンジもできる。僕自身はトライしたことでとてもよい秋のスタートが切れたと思っています。また、敬愛するデヴィッド・ボウイが亡くなったことも『Paradox』のテーマに向き合うひとつのきっかけになりました。彼は死ぬまで創造的だったし、デヴィッド・ボウイという美学を音楽に捧げた。その美しさは僕にとってとても大きなことでした。生まれて初めて自分はあと何枚作れるだろう、と考えましたね。遊びもろくに知らず、ギターしか知らない僕が、ギタリストとしての生き様を自分が死んでも残せる方法といったら、作品とライブという“一瞬の永遠”しかないと改めて思いました。それが僕にとっての50代です。そして、ここからは悔しい思いよりもその先の喜びをもっと感じられるんじゃないかとも思っています。だから、悪くないですよ。

前田

尊敬しているスタイリストさんが同じようなことをおっしゃっていました。彼も最近新しいことを始めて生き生きとしているんですが、50代になって“よろしくお願いします!”からスタートできることは本当に楽しいといっていましたね。

布袋

50歳というのはひとつのきっかけじゃないでしょうか。

前田

そうだと思います。けっして制約ではないですよね。

布袋

日本では年齢の質問ってすごく多いですけど、ロンドンでは誰も訊かない。50も70も80もない。アーティストは死ぬまでアーティストだ、というのが当たり前の世界です。だから同世代の人には年齢なんて関係ないといいたいし、歳を重ねていくことの素晴らしさを伝えていきたい。とはいえ、みんながみんな僕みたいな冒険ができるわけじゃない。だったら僕は、ある種みんなの夢を乗せて行くしかないな、と思います。僕がここで後ろ向きになったり諦めたりしたらロックが廃れるじゃないですか。デヴィッド・ボウイやかまやつひろしさんなど素晴らしい先輩たちが世を去りましたが、眩しい輝きを残して行きました。自分のスタイルを持って、本当に格好いい男、最高に格好いい兄貴のまま旅立つ姿を見て、自分も自分の輝き方で最後まで走り続けたいと思いました。

前田

それこそ「挑戦」の本当の意味かもしれませんね。

布袋

そこでもうひとつ大切なのが自己更新です。アップデイトというとちょっとニュアンスが違うんですが、自分のスタイルを貫くためにも“昨日よりも今日”という姿勢は大切だと思います。“あのときの自分が一番良かった”ってなっちゃうと、いまを生きるミュージシャンとしては終わりですからね。歳をとることは老いていくことじゃなく満ちていくこと。もしくは輝きをギラつかせることなく放てることだと思います。ロック界にもたくさんのお手本がいますが、そういう人たちを見るとまた「悔しいな」と感じますね(笑)

拳じゃないものが奮い立つ音楽が
出来上がったという手応えがあります(布袋)

前田

まだまだやることはたくさんあるぞ、という感じですか。

布袋

そうですね。でも、今回のアルバムはサウンドも言葉も歌も、すべてを含めた表現において100%満足できる作品が初めてできました。

前田

初めてですか!?

布袋

みんなそういうんですけど、なかなかできないものですよ。でも、それができたのは、やっぱりイギリスに渡ったおかげだと思っています。自分でギターの弦を変えるところから始めて、ひとりっきりのスタジオで自分と向き合って…。そういう時間のなかから生まれたものです。そして、重苦しい現実の先にあるものを見いだしたいという思いから生まれたものです。いまの僕はBOØWY時代みたいに髪の毛も立っていないし、アルバムジャケットではギターすら持っていない。「布袋も変わったな」といわれるかもしれません。みんなが求めている拳を上げるための音楽でもないのかもしれません。でも、拳じゃないものが奮い立つ音楽が出来上がったという確かな手応えがあります。

前田

今回のインタビューを始める前、あえて音楽じゃない話をしようと考えていたんですが、やっぱり音楽の話になっちゃいましたね。

布袋

どうしても音楽の話になっちゃいますね。

前田

でも、音楽こそが布袋さんの生き様であり、伺いたいと思っていたすべての答えがそこにありました。

スーツが似合う
ミュージシャンでありたい(布袋)

前田

媒体がLEON.jpなのでファッションについてもぜひお伺いしたいと思っていましたが、これもさきほど音楽から影響を受けたとおっしゃっていましたね。

布袋

10代の頃からUKミュージックやロキシーミュージックのダンディズムに憧れました。1970年代当時、アメリカ流の長髪&ベルボトムではなく、タキシードを着て演奏するという姿には衝撃を受けました。だから僕もスーツを着てステージに立とうと思ったんです。でも、みんなが着ていたら着なかったでしょうね。ロックって“人と違う”ことだと思いますから。やっぱりそこはちゃんと“ズレて”いたい。流行遅れは格好悪いですが、流行を横目で確認しながらズラす、ということが僕にとっては大切なんです。

前田

それはまさにLEONが目指している“ハズし”の格好よさと同じですね。スーツスタイルがダンディズムの基本だという点も同じです。

布袋

スーツは男にとって一番平等な服だと思います。着る人の“いま”が出る。だから、40歳を過ぎてからはステージ以外でもなるべくスーツを着ています。スーツって気持ちいいですし、楽ですから。特にブラックスーツはピリッと気を引き締めたいときには打ってつけのアイテムだと思います。ただ、着慣れないとサマにならない服でもある。そういう奥深さがあるからこそ、僕はスーツの似合うミュージシャンでいたいですね。

インタビュー/前田 陽一郎(LEON.jp
写真/前田 晃(MAETTICO)
文/竹内 虎之介
スタイリスト/井嶋 一雄(BaIance)

布袋寅泰着用衣装/
ジャケット 55万円
デニムシャツ 8万8000円
パンツ 9万8000円
チーフ 2万2000円
靴 14万5000円

すべて ブルネロ クチネリ
ブルネロ クチネリ ジャパン/☎03-5276-8300

布袋寅泰[ギタリスト]
Tomoyasu Hotei

日本のロックシーンに大きな影響を与えた伝説的ロックバンドBOØWYのギタリストとして活躍した後、1988年にアルバム『GUITARHYTHM』でソロデビュー。日本を代表するギタリストであると同時にプロデューサー、作詞・作曲家としてもその才能を高く評価される。またクエンティン・タランティーノ監督からのオファーにより、「BATTLE WITHOUT HORNOR OR HUMANITY(新・仁義なき戦いのテーマ)」が映画『KILL BILL』のテーマ曲となり世界的な評価を得る。2012年よりイギリスへ移住。2014年にはザ・ローリング・ストーンズと東京ドームで共演を果たす。同年10月、初のインターナショナルアルバム『Strangers』をUK、ヨーロッパでリリース。2016年2月にベルリン、パリ、アムステルダム、5月にLA、ニューヨークでの単独公演を開催し大成功を収める。そして2017年10月25日、ニューアルバム『Paradox』を発表。10月26日からは全国ホールツアー『HOTEI Live In Japan 2017 〜Paradox Tour〜』が敢行される。

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