INTERVIEW with

[ミュージシャン]

LEONの周辺には有名無名にかかわらず、男から見ても格好のいい大人の男たちが大勢いる。
そしてそんな男たちのフリートークは必ずどこかに発見があるものだ。
そんな男たちとのフリートークを収める「INTERVIEW with」。
今回は1980年にデビュー、常に時代とシンクロした音楽表現とセルフプロデュースで
時代を切り開き続けるミュージシャン、佐野元春さんを紹介する。
聞き手は自身もあらゆる面で影響を受けたというLEON.JP編集長の前田陽一郎。

追い求めてきたのは
センス・オブ・クールということ(佐野)

前田陽一郎
(以下:前田)

初めてお会いしたのは半年ほど前(あるパーティで偶然同席!)でしたが、あのときは舞い上がって僕ばかり話してしまい、失礼いたしました。

佐野元春
(以下:佐野)

いや、光栄でした(笑)。そして今日またお話しできることを楽しみにして来ました。

前田

そう言っていただけて幸いです。さて、今回はミュージシャンの佐野元春さんとしてももちろんですが、“格好いい先輩”としての佐野さんにお話しを伺いたいと思っています。ですので、音楽のお話ももちろんですが、佐野さんが音楽を通して何を伝えたいのか、というあたりを聞けたらいいなと思っています。

佐野

せっかくのこういう機会ですから、僕も音楽を超えて話しがしたいですね。

前田

インタビューというより雑談を交えたかったので、撮影もスタジオではなく、あえてお寿司屋さんで(笑)。僕のお気に入りの『仙』というお店です。予約のみで1日1組限定というとてもプライベートな空間です。

佐野

いいお店ですね!

前田

では、お寿司をいただく前にお話しを(笑)。まずニューアルバム『Maniju』に関してですが、とても面白いと思ったのは、ホームページにあったシングルカット曲『純恋(すみれ)』のライナーノーツです。あれはライナーノーツというより手紙ですよね。

佐野

そのとおりです。あの曲はそもそも少年に向けて書いた曲です。少年というのは、実際の多感な少年だけでなく、メタファーとして大人のなかの少年も含んでいて、そういうすべての少年に訴えかけたいと思って作りました。

前田

僕はあの曲を聴いた時、サミュエル・ウルマンの『青春』という詩を思い出しました。年齢とは関係なく、ときめきを忘れない人に向けているような。

佐野

いま僕がこの年齢になって少年にメッセージを送るなら、どんな内容になるだろうか? という問いの答えがあの曲であり、あのライナーノーツです。すべての少年たちにまずは恋をしろと言いたかった。そしてその先に、それぞれの革命をしろ、と暗にけしかけたんです。

せめて3分間だけいいから
良い思いを共有しようよ(佐野)

前田

同時に新しいアルバム全体を通して、佐野さんの言葉へのアプローチがよりシンプルでストレートになっている気がします。

佐野

言葉の表現というのは普遍ではなく、時代のなかで消費され、時代のなかで生まれ変わるものだと思う。自分自身はあまり意識はしていないけれども、そのなかで自然に変えてきたんじゃないかな。ただ若い頃のソングライティングといまのソングライティングの違いがあるとしたら、より効率よく聴き手にあるイメージを届けたい、ということです。

前田

効率よく、ですか。

佐野

複雑な景色をできるだけシンプルな言葉で効率よく伝えること。いまはそこに集中しています。もしも自分の表現手段がもっと言葉をたくさん使った小説だったり、映画だったりしたら、また違ったものになると思うけれども、音楽というのは3分から4分の世界。その時間の制約のなかでできるだけ気の利いた言葉を使って、聴く人がワクワクするようなイメージを送りたいと思っています。それは相手に何かを伝えたいというよりも、3分間という短い時間のなかで感情や気持ちを交換したいということに近いかな。記憶のなかにとどめておいて欲しいとか、僕のメッセージはこうだよ、なんてことじゃなくて。せめて3分間だけ良い思いを共有しようよ、という感覚です。

前田

音楽を始めたのはいつからですか?

佐野

小学校の6年生の時にギターを始めた時。そして夏休みにピアノと一緒に猛特訓をしましたね。ギターとピアノを一緒に覚えると上達が早いんです。ところが、今度は曲の作り方がわからず困った。

前田

いきなりオリジナル、ですか!?

佐野

そう(笑)。それでとりあえず、大好きだったヘルマン・ヘッセの『赤いブナの木』という詩に勝手に曲を付けた。生まれて初めて作った楽曲です。

前田

周りの人の反応はいかがでした?

佐野

友人たちは喜んでくれました。とはいえ、これは人の詩に勝手に曲を付けたものだから100%の自作とはいえない。そこで今度は詩を書き始めました。いまもその頃のノートが手元にあるんですが、日付を見ると2、3日に一篇くらいのペースで書いているんです。当時はそれが楽曲になるかならないかなんておかまいなしに、とにかく書きました。

前田

実際にその頃書いた詩でみんなが知っている曲になったものはあるんですか?

佐野

けっこうありますね。『情けない週末』とかも16歳の時に書いたものです。

前田

えっ! あの大人の恋愛の曲を中学生の時に書いたんですか?

佐野

よく、佐野さんの詩って体験に基づいているんでしょ?って訊かれますが、実は100%自分のことを歌った詩はひとつもないんですよ。そういう意味では自分は作家なんだと思います。自分に似た主人公が出てくるけれど、それはけっして自分自身じゃない。古いノートを見ると、詩を書き始めた時から作家としての取り組みをしていたんだな、とあらためて感じます。

前田

“観察者”の視点ですね。

佐野

そう。いまでも冷静な観察者であることは、曲を書く上でとても大事なことだと考えています。

ソングライターにとって
一番大事なものはスタイル(佐野)

前田

佐野さんの楽曲はこれまでもいろんな音楽を吸収して、それ自体をスタイルにしているように思えますが、ソングライターとしても個人としても、常にあらゆる角度にアンテナを張っている感じですか?

佐野

アンテナを張るのとはちょっと違うかな。自分のスタイルの確立を目指しているだけなので、それはやっぱり自分のなかの探求です。ソングライターにとって一番大事なものはスタイルだと思っています。ラジオから流れてきた瞬間、聴いている人が「これ、佐野元春だよ」ってわかるような。同時に、自分のスタイルを理解するには他人のスタイルを知る必要がある。比較しないとわかりませんからね。

前田

最近、自分と同年代の男性を見ていて、不思議と聴く音楽がアップデイトされている人って、他のこともアップデイトされているように感じます。僕は職業柄、常にアップデイトを意識していますが、それは流行に迎合するためではないんです。“あの頃は良かった”ではなく、いまを最も良くするために何をするか? を考えていたいと思っているからですからなんですが。

佐野

全く同感ですね。自分のスタイルを探求するといっても、絶対に時代と無関係ではいられません。どういう流れのなかで、どこを通って、いまどこにいて、これからどこに向かうのか。それを考えることはソングライターとしてだけでなく、生き方としてとても大切なことだと思っています。

前田

そういう流れのなかで根底にあるのがスタイルということですね。僕の目にはミュージシャン佐野元春は、常にスタイリッシュな存在で、そこはずっと変わらないように感じますが、やっぱり意識されていますか?

佐野

もちろん、意識していますよ。意識していないとできませんね。

女の子の門限を1時間伸ばしたって
言われて(笑)(佐野)

前田

アルバムのカバーひとつとっても、アートワークに対するこだわりはすごいですもんね。

佐野

海外のミュージシャンの音楽に触れた時、楽曲はもちろん素晴らしいけれど、それを包むアートワークも含めて表現だと感じました。だから僕も最初からそこにこだわりました。ファースト、セカンドアルバムと続けてモノクローム写真をカバーに使いましたが、当時、日本にモノクロのアルバム・ジャケットは珍しかった。だから、レーベルからは「何だ、これ?」と言われました。でもリリースすると、特に都市部の少年少女たちが「これだよ!」と支持してくれたんです。嬉しかったですね。1980年、新しい世代が日本のいろいろな街から台頭してきて、それまでとはまったく違う価値観を表現し始めた。そんな彼らのバックグラウンドミュージックになりたいと思いました。だから音楽そのものはもちろん、カバーの写真も彼らを主人公にしたストーリーを感じるようなものにしたかったんです。

前田

僕はいまだにツィードのジャケットを見ると『ナイトライフ』が頭のなかをぐるぐると回って離れなくなるんですよ(笑)。高校を卒業したら東京に行くと決めていた僕にとって、東京のイメージを象徴する音楽が佐野元春でした。

佐野

当時、女のコを“11時までに帰さなくちゃ”って歌詞が社会的に問題になったんですよ。「門限は10時だろ!」と(笑)

前田

いま考えると、かわいい(笑)

佐野

佐野元春が女の子の門限を1時間伸ばしたって言われて(笑)

前田

あの曲のなかで“早く服を着て、髪を整えて”っていう歌詞があるじゃないですか。あれには僕もドキドキしました。だって、髪を整えて…ですよ! 東京に行くと金曜日はそんなことになってるのか!? って思いましたね。で、その後東京に出てきて、初めてツィードのジャケットを手に入れた時、これでオレもやっと東京人になれたんだと思いましたね(笑)

共感、共有、共犯。3つの“共”があれば
読者は絶対に離れない(前田)

前田

80年代半ばから90年代にかけては雑誌も作っていらっしゃいましたね。

佐野

『THIS』ですね。その頃にはM’s Factoryという自分のレーベルを立ち上げたり、そこでは広告も手掛けました。つまり“自分のメディアをもとう”としていたんですね。作った作品を古い乗り物に乗せて届けることができないのなら乗せなくていいよ、自分の乗り物に乗せるから、という感じで。

前田

佐野さんって、いまでいうセルフプロデュース、セルフブランディングを時代に先駆けてやっていたんじゃないかと思います。例えば『THIS』という雑誌を作ることで、音楽やインタビューやライブでは表現できない、個人のセンスや価値観が見えてきますよね。佐野元春というミュージシャンの周りにあるものを自分のブランドと一体化させる最高のアイデアだったと思います。

佐野

ブランディングという言葉自体がなかった時代でしたが、結果的にそうなったと思います。雑誌にしても、そもそも売ることが目的ではなくて、「こんな雑誌はどうだ」というリファレンスを当時の若い人たちに示したかったんです。同時に、ミュージシャンだからこそ、自由な発想で作ることができたのかなって思いますね。

前田

確固たるスタイルがありましたね。

佐野

センス・オブ・クールという意識が根底にありました。「クールとは何だ?」ということを追求する、街で暮らすインディビジュアリストのためのマガジンでしたね。さっき若い人たちに…といいましたが、実際の年齢は関係ありません。たぶん、あるスタイルに共感する人って、年齢ではカテゴライズできないと思っています。でも、既存のメディアは往々にして年齢や職業、性別といったものでセグメンテーションしたがる傾向があります。それでは本当に獲得したいオーディエンスは獲得できない。

前田

そうなんです! 僕がLEONの編集長になった時も、行く先々で「ターゲットの年齢は?」というようなことを訊かれました。そこでいつも「年齢にはこだわりません。ターゲティングもしません。でも、ただ一点“共感”というポイントだけは絶対に外しません」と応えていました。共感、共有、共犯。この3つの“共”があれば読者は絶対に離れないと思ってきました。そして男性とって、年齢はほぼ意味をなさないものだというのが僕の持論です。

佐野

最初にお話しした『純恋』にも通じますね。

8伝えて12わからせる、
というのがクールのセンスだと思う(佐野)

前田

現在、佐野さんが最も興味をもたれているのはどんなことですか?

佐野

やはり自分のレーベルですね。いまは80年代にやっていたインディーズ的なものより(組織的にも運営的にも)確固としたレーベルを立ち上げたので、その運営に集中しています。

前田

目的は以前と同じですか? つまり、すべてを自分のスタイルで表現するという。

佐野

目的は同じですが、より健康的な運営を目指しています。健康的というのは、他の資本にあまり頼らず、できる限り自己資本で良い音楽を届けるということです。

前田

スタイルをより貫きやすいということですね。

佐野

そうです。例えば、ダウンローディング全盛のいま、パッケージは売れないといわれています。でも、僕はパッケージで育った人間だし、パッケージが売れないといわれると、なおさらパッケージに力を入れようと思っちゃう。そこで(新作の『Maniju』もそうですが)きちんとしたアートワークを施し、さらに初回版のような音楽以外の付加価値を打ち出すことでパッケージを成立させようと考えました。それがきちんと出せれば、ちゃんと評価してもらえます。多数ではないですが必ずわかってくれる層がいるんです。面白いもので僕の場合、初回版とアナログ版の方が通常版のCDより売れるんです。

前田

アナログ版はいま逆に新鮮ですよね。僕の父親がジャズのレコードが好きで、実家にはたくさんのレコードがあるんですが、ブルーノートなど50年代のジャズレコードって、音楽はもちろんジャケットがすごく格好いい。まさにパッケージですよね。

佐野

あの頃のブルーノートのカバーはジャケットデザインのベンチマークになりましたよね。ブラック&ホワイトの写真にビビッドな文字を乗せたデザイン。あれは“ニューヨーク・シック”を体現するものですが、いまでも“クール”というセンスを表現する際には、みんなあの手を使いますね。

前田

クールという言葉自体がジャズですよね。

佐野

まさに感情を抑えた表現。僕の解釈では、相手に8伝えて12わからせる、ということじゃないかと思っています。あるいは8しかいわないけど相手に12伝わる。そういう伝達方法がクールのセンスなのかな、と。僕は下町育ちだから、下町の言葉でいうと“粋”な感じかな。下町の人って、着物なんかも表にはそんなに主張がない。でも、裏地には凝るんですよ。あえて不遜ないい方をすれば「わかる奴にわかればいい、わかんねぇ奴は野暮だよ」ということ。そうやって切り捨てちゃうことがすべていいことだとは思いませんが、その潔さはある種いまの時代に必要な感覚だと思います。

あらゆる仕組みがフラットに向かう
時代だからこそ地域の個性が面白い(前田)

前田

先日、浴衣のことを調べていて江戸の“イキ”に対して、京都では同じ粋という字を“スイ”と呼ぶことを知りました。江戸のイキが、削いでいって最後に残ったものであるのに対し、京都のスイは中央にある最も大切なものに足していく。それが粋なんだと。デジタルの時代になると、あらゆるものがフラットになっていきますよね。でも、社会の仕組みがフラットになっていく時代だからこそ、逆に地域に面白いものがたくさん生まれてくるんじゃないかと感じました。

佐野

インターネットが発達すると地域性なんてなくなるという人もいるけれど、絶対にそんなことはないと思います。社会が均一になればなるほど人は意固地になるから、ローカルの特性はむしろ強くなってくる。全国を回っていて感じるのは、言葉の違いよりも何よりも、感受性が地域毎で微妙に違うということです。いままであやふやだった違いが、均一化されつつある環境のなかでむしろ顕在化してくる。そこに僕は大きな期待を寄せています。

前田

まだまだ佐野さんも、ミュージシャン佐野元春も変化していきそうですね。

佐野

そうありたいし、そうなるように活動してます。

前田

すっかり長くなりました。そろそろお寿司をいただきましょうか(笑)。

インタビュー/前田 陽一郎(LEON.jp
写真/前田 晃(MAETTICO)
文/竹内 虎之介

佐野元春[ミュージシャン]
Motoharu Sano

東京都生まれ。1980年3月、シングル『アンジェリーナ』でデビュー。同年4月、ファーストアルバム『BACK TO THE STREET』を発表。新たな世代を象徴する都市部の若者の支持を得て、当時社会的にも注目され始めていた“ティーンエイジャー”の音楽というジャンルを切り開く。以降、詩人としての言葉をベースに、さまざまな新しい手法を積極的に取り入れた楽曲を数多く発表。日本語を乗せたロックの第一人者。1986年、プライベートレーベルM’s Factory設立。音楽の周辺をも含む活動で自らのスタイルを確立する。現在は独立系レーベルDaisy Musicを主催。パッケージにこだわる一方、インターネットを通じた音楽活動などでも先進的な試みを続ける。2017年7月19日には17枚目のオリジナルアルバム『Maniju』を発表。

MUSIC VIDEO

純恋(すみれ)

禅ビート

悟りの涙

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